徒然なる頭の記録

ふと思いついたことを書いています

人の見方は180度変わる

物事は見方次第で感じ方が180度変わる。
例えば、滑舌の練習をよく1人で最近やっておりました。それで、そのあと人前で話す機会があって話しますと、自分の滑舌が気になって仕方がありませんでした。
こういうことがありまして、そのようなことが言えるのではないかと思うのであります。
よく、宗教で人は変わらないと言う人がいると思いますが、それは間違いではないでしょうか。
人は変わります。
普段の行い次第で見方が変わるのではないでしょうか?
普段上手いものばかり求めて食べていたら、世間ではそれが気になるし、普段男女ばかり求めていたら世間ではそればかりが気になる。
人は普段の自分が何をして何を考えているのかを気にしなければならないのだと思います。

何を普段すればいいのか?何を考えていれば、世間でよい思いをするのか?

昔、哲学者西田幾多郎純粋経験という概念を示しました。

それと似たようにして、経験する手前、その手前が大事であると思います。

人の感じ方は、普段の行いによる。

つまり、人の感情は普段の行いに依るところが大きいのであります。


リラックスして膿を出す

少し前に心療内科に行って薬をもらいました。
新薬だそうで、鬱や統合失調症にきく薬、レキサルティです。
飲み初めて1ヶ月くらいになりますが、効果はよくわかりません。なんとなく、なんとなくですが、人との会話がスムーズだったり、あまりくよくよしなくなったり、してます。
仕事のプレッシャーからくる疲れや、過剰勤務による疲れに私もやられてます。

こういった薬は、精神を安定性させる、リラックスさせる効果があるのですが、気を張りつめた状態を緩和させると体の疲れもどっと出てきたようで、昨晩高熱が出てしまいました。

雨降って地固まる。

フラットな心がフラットな心を造るのだなぁと感じます。


トラウマの解消

トラウマの解消について調べていました。
トラウマというのは、そのトラウマの記憶が他の記憶の障害になるということです。トラウマが邪魔をして通常の働きを阻害するのです。
人はそれぞれ、それなりに自信を持って生きていい。
しかし、嫌なことが邪魔をして自信を失ってしまう。それが、トラウマというやつです。

トラウマを解消するには、トラウマになったことを思い出すことから始めるとよいらしいです。

そして、トラウマになったことを自分で書き出してみて、それぞれの良い点を書いていきます。
どうしても嫌なことしかイメージにないのですが、良い点を考えることが大切なんだそうです。

これがトラウマ記憶の書換というもので、これをすることで、トラウマに捕らわれることが減るそうです。

自分の人生、トラウマを乗り越えて、振り返ってみれば、決して捨てたものじゃありません。


一つしか選べない

休みの日に何処かに行こうと思い立って、行くわけですが、選んだ所が後で満足できるか出来ないかはその時には分かりません。

それが愚かな人間の性ではないでしょうか。

せっかく汗水垂らして稼いだお金をこんなことに使ってしまったという思いが込み上げることもあります。

しかし、後悔ばかりしていたって仕方ありません。

いつか心が満足できる瞬間を探し求めて旅をするのです。


偉大な努力

偉大な努力とは、
地道に一人で黙々とやり遂げる努力だ。
野球人なら一人でひたすら走り込めること、素振りをすること、そういった最も単純な努力こそが最も偉大な努力となる。
挫折を感じたとき信じられなくなることもあるけど、決して策に溺れてはいけない。



悩んでいる物事を解決する為には、悩むことを探求していかなければ悩みは解決しない。しかし、悩みから解放される為には、探求していく自分を離れて見守る他人、或いは自分自身が必要だ。それは生き物がそれ自体で目的を背負って生きていくのと同時に、それを守る存在がなければ生きていくことはできないことと同じことだ。例えば、日本という経済は、日本が成長し発展していく為には、それ支える日本人自身の発展への追求が必要だ。しかし、それだけでは物事は解決しない。日本を守る状況や存在がなくてはならい。企業がより高性能なもの作りをするのは結構なことだが、それを見守る他者の存在が必要不可欠なのである。自分が自分を追求して悩んでいくことも結構なことだが、それを見守る他者、或いは少なくともそれを見守るもう一人の自分自身の目と心が必要なのである。また、そういう状況を作り出す為に必要なことがある。悩み追求していかなければ、見守ってくれる存在の可能性が低くなってしまう。だから、人間が生きるためには、悩むことから逃げ出すこともできないし、それをそのまま信じる他はないし、その道をいくしか道はない。